「限界費用ゼロ社会」を読み終えて。資本主義的な価値観は、そろそろポイしていいみたい。

「限界費用ゼロ社会」読み終わりました。

例示が多すぎてすっ飛ばした部分も多々ありますが、大筋はつかめた…ような気がします。

大体の中身と、大体の感想

ざっくり中身を説明すると、こんな感じでしょうか。

・資本主義経済は、本質的にコスト削減と効率向上と価格競争をせざるを得ない。それゆえに究極的にはコストが限りなく0に近づき、価格も利益も0に近づいて、資本主義経済それ自身が成り立たなくなっていく。現在はそうなりつつある。

・資本主義経済にとってかわる経済体制は、インターネットと再利用可能エネルギー関連の技術の発展によって可能になった、共有型経済(シェアリングエコノミー)である。

・共有型経済とは、目的を共有する共同体によって形作られる、物の「所有」より利用する権利「アクセス権」を重視する経済である。共有型経済では生産者と消費者は分かれておらず、生産消費者(プロシューマー)が協働によって物やサービスを生み出す

面白かったです。

インターネット上での動画や音楽の共有、協働しての創作活動は日々、目にするところですし、カーシェアリングもかなり一般的になって来ているし、AirBnB、民泊も盛んですよね。

所有することよりアクセスできること(利用できること)のほうが重要、という価値観も、実感としてよくわかります。

私はシンギュラリティ(人工知能が人間の脳を超える特異点。この時点から未来は人間には予測できないとされる)信者なので、AI等の技術の発展で、やがて物やサービスのコストが際限なく0に近づいていく社会は来ると思っています。

そうなったときに、物を作って売って経済を回している資本主義の社会はどうなってしまうのか、という疑問があったのですが、一つの回答として、「共有型経済が主流になっていく社会」というのは、ありなのかなと思いました。

デフレとシェアリングの進行は、資本主義経済の当然の帰結だったかもしれない

日本はデフレから脱却しようとやっきになっていますが、デフレって、自然な流れなのかもしれません。

上に書いたように資本主義がもともと持つ性質からして、物やサービスの値段は限りなく0に近づいていく。得られる対価もどんどん下がっていく

これに対応するために、グローバル化という旗印のもと、先進諸国の企業は労働力の安価な国にこぞって工場を作って、コスト削減してしのいだわけですが、それにも限界がある(労働力の安価な国はずーっと安価なわけではなく、経済の発展に伴い、支払う給料は挙げていかざるを得ない)。

そうした流れの中で、労働者の得る賃金も当然、どんどん下がっていく。消費者としての労働者は、高いものが買えなくなる。企業はますます安いものを作らざるを得ない。デフレの加速というわけです。

そして安価でこき使われる労働者の必然として、「シェアリングで安く済ませる」という需要が出てくる。車はカーシェアリング、おもちゃはレンタル、家せまいから物を置く場所もそんなにないし、本よりも電子書籍、CDよりも音楽データを買えばいいや…となっていく。

さらに、企業体のピラミッド構造から、上のほうの人は給料をたくさんもらい、下のほうの人は給料が少ない…格差が生じてくる。格差は人々を分断し、互いの間に不信感を生んでしまう。それに対する反発として、共同体として一体となろうとする志向が出てきた、とも考えられます。

こう考えてくると、資本主義の後継者が、共同体によって営まれる共有型経済であるというのは実に自然な流れなのかなと思います。

特筆すべきは、著者の人間への暖かい眼差し

上で、格差に対する反発から共同体への志向が生まれると書きましたが、この本の著者の意見は、人間は本質的に共感を求めるからだ、ということのようです。

資本主義が発展してくる過去数百年間の常識「人間はもともと利己的、物質主義的、功利主義的で、利益を求めることはその本質にかなっている」とする人間観は間違っていた、というのがその主張です。

新しい科学的研究が物語るのは別の話だ。人間は最も社会性の強い生物だという。私たちは親交に飢え、社会に根を下ろすことを切望する。

人間の主たる動因は、エコノミストが私たちに信じ込ませようと願うような、飽くことなき物質的欲望ではなく、他者との親交の追求にある。物質的な快適さに対する最低限の要求さえ満たされていれば、愛情や人との親交にこそ、私たちは幸せを感じる。私たちは所有し貪りたいのではなく、仲間でありたいのだ。

ところで、人々の精神を形作る重要な原因となる「教育」について、私も前に記事で書きましたが、

自由意思による選択なんて、あったのだろうか。(資本主義と教育、その他)
教育も時代の影響を受けざるを得ない以上、市場原理(効率重視)も当然、教育に反映されている。その教育を受けて、その常識の中で生きてきた私たちは、自由意志で職業を選んだつもりだったけれど、本当にそうだったのか。本当の意味の自由意志なんてないのかもしれないけれど、今の「常識」を疑うことはできる。

著者も、資本主義経済下における教育は、人を労働者にするためのものだったと書いていました(一般的な見方なのかな?)。

資本主義の時代には、学生が熟練した産業労働者になるための準備をする教育モデルが崇められていた。教室はミニチュアの工場と化した。生徒は機械と同等のものと見なされ、命令に従い、反復によって学び、効率よく行動するよう仕込まれた。

ただ、資本主義の時代から協働の時代への移行に伴って、こうした教育にも変化が起きているとも書いています。

新しい教育の現場では、生徒はインターネットでつながりあい、バーチャルなグループを組んで、コミュニティの中で協働型の創造性を発揮させるために学んでいると言います。

また、地域のボランティア活動や、自然公園での体験型フィールドワーク等に参加する「サービスラーニング(奉仕学習)」によって、生徒たちは地域や地球環境といったコミュニティの中に自分自身を位置づけ、その中で自分の果たす役割を考えられるようになるそうです。

非常に興味深いですね。こうした教育の流れが日本でも広がるといいのですが。

共同体経済の広まりに伴い、他者との協働経験を多く積み、効率と個人主義よりも共感と共生を重んじる若い人たちが育っているというのは、とても希望のある話だと思います。

しっくりこない点も:インフラの再構築とお金の回り方は?

ということで非常に共感できた内容だったのですが、ただなんだか、しっくりこないところもありました。

共有型経済を可能にするインターネットの基盤は、無数のコンピューターであり、その間をつなぐケーブルであり、電源を供給するシステムであったりですよね。

再生可能エネルギーに関しても、例えば太陽光ならソーラーパネルと制御するコンピューターなどのハードウェアがまず必要。

これらのインフラにかかる費用について、この本では、「まず最初にインフラ整備のための初期投資がかかるが、その後はコストがかからない」的な書き方をしています。

でも天災によって、インフラがまるごと破壊されてしまうこともあり得るんですよね。そうしたら、また初期投資に近いコストが発生することになる。

共有型経済がそのインフラを、資本主義経済なしで、自立的に、同じように安価に、再構築できるものなのかどうか?

仕組みを作ってしまえば後はタダ、というのは、主にソフトウェアや情報のことであって、物体はなかなかそうはいきません。劣化するし、メンテナンスは必要だし、壊れるし。

3Dプリンターが万能の機械、というよりむしろドラえもんのポケットのようになんでも出てくる夢の機械としてこの本では扱われていますが、3Dプリンターを動かすのに必要なコンピューターまで、作り出せるのかな?

そうでないのなら、やっぱりまだ、資本主義経済によるハードウェアの大量生産能力は必要とされている、ということになるんじゃないでしょうか。

お金も同じです。

シェアリングなどでユーザーが支払う代金は、ユーザーが資本主義経済の中で稼いできた給料から出ています。ユーザーが務めている会社が、資本主義経済の瓦解によって潰れたら、給料がない=お金がなくなり、シェアリングもできなくなる。

何より共有型経済への第三次産業革命の肝であるインターネットに接続することすら、困難になります。

お金の回る経路も、まだまだ資本主義経済の恩恵を被っているところが大いにありそうです。

※あと一点、気になったのは食料のことなんですけど、食糧は3Dプリンターでは作れないですよね。生き物だから。それは無償になることがあるんでしょうか?シンギュラリティ的な観点から言えば、無償となったエネルギーとAIとロボットによって大規模な農作物プラントや牧場が自動で運営できるから食料のコストは0になる、と言えるんですが。

将来的には

ただ、いずれ3Dプリンターはコンピューターを作れるようになのかもしれませんし、AIやナノコンピューティング、ロボットの発達により、共有型経済でのインフラの再構築は不可能ではないと思います。

お金の件も、ベーシックインカムで回すという方法があります。政府がやってもいいし、共同体が共同体通貨を発行してもいいのかもしれません。

要するに、生産消費者が自ら生産したものの対価を得られて、その対価でほかの人の生産したものを購入できれば経済は回るので、お金は交換手段に過ぎない、ポイントみたいなものなわけですよね。それを通貨として保証する、政府か共同体があればいいわけで。

そうなったらそのときに、やっと、資本主義とさよならできるのかな。

よく読んでみたら、筆者は、資本主義経済は完全にはなくならないだろうと書いていましたね。「限界費用が高いため、市場での交換が正当化でき、投資収益が確実に得られる」ような分野では残るだろうと。

ただ、これまでのように「文明世界の従うべき経済的指針を一手に定めることはもはやなくなるはずだ。」と書かれています。

本当にそうなって欲しいですね。

これまで、いろんなものごとの優先順位をつける基準として、資本主義的な(物質主義的、効率主義的な)考え方が用いられ過ぎました。

人を判断する基準(お金持ちか、そうでないか)から、政府の政策(それは経済のために良いかどうか)まで、いろんなものごと全部。

というか、人間の命より経済効率を重視する行為が割とまかり通る、恐ろしい時代です。こんなんじゃ、人間が幸せになれる訳ないですね。

ちなみにこの本の最後に、日本について書いてあるのですが、日本は古いエネルギー源である火力発電、原子力発電にしがみついていて、新しい時代に対応できていない、とあります。

全くその通りですね。何なんでしょう。長期安定政権がもたらした利権構造ですかね。

ちょっと日本の政権は長く続きすぎて、まともな野党が育っていないし、既得権益を手放したくない人々によって、身動き取れなくなっているのかもしれませんね。

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