たとえ今日世界が終わるとしても、ひるむことのない生き方を。

Dream as if you’ll live forever.
Live as if you’ll die today.

永遠に生きるつもりで夢を抱き、
今日死ぬつもりで生きろ。

ジェームズ・ディーンの言葉なんだとか。

夢を見る時は制限をつけるな、生きる時は一瞬一瞬を大切にせよ、ということなんだと思います。

永遠に生きられるとしたら、皆さんはどんな夢を持ちますか?

私は…なんかぼーっとしちゃいますね。永遠に生きられるとしたら…でも、今持っている夢と同じかな。

なかなかできてないのは、今日一日限りと思って生きることのほうかな。

こんなことを書いたのは、ある噂を聞いたから。

米航空宇宙局(NASA)の発表によると、この小天体「2016WF9」は直径0.5~1キロで、予測できる範囲では危険はない。元は彗星(すいせい)の核だった可能性があるという。

2月25日頃、小天体が地球に接近するが、危険はない、とのNASAの談。

ところがこれに対して、ロシアの天文学者が、小天体は2月16日に最接近し、地球に衝突する可能性が高いと言っているらしいです。天体が海に落下した場合、破局的な津波が発生し、海水は沸騰するのだとか。NASAはこれを知っているけれど、パニックを避けるために発表しないんだとか。

まあ、よくある破滅ものというか、ノストラダムスの予言とかマヤの予言とかと同じで「はいはいムームー」で終わっていい話なんですが。最近では、惑星ニビルの地球への衝突が騒がれたこともありましたね。

ニビル英語: Nibiru)とは、太陽系に存在するとされた仮説上の太陽系第12惑星、あるいは惑星質量天体である。太陽を非常に細長い楕円軌道で公転しているとされている。

こうして読むとニビルにはいろいろロマンがありそうですね。「ニビルにアヌンナキという生命体が存在しており、3,600年周期で地球に近づく度に文明を進歩させて痕跡を残した、地球人はアヌンナキによって創造されたという解釈」とか、ワクワクします。

さて、こういう定期的に見る「地球がピンチ!」「地球が滅亡する!」という話は、真剣に取り合う必要はあんまりないのと同時に、「もし本当だったら?」と考えることで、自分の人生を見つめなおすきっかけにもできると思っています。

もしニビルだか何だかが近いうち、地球に衝突して、人類が滅亡するとしたら。

いや、もし自分の人生が明日終わったら。

明日と言わず今日なら。

人生の終わりに、後悔はなかったと言えるだろうか?

これは、普段から考えておいていいことだと思います。

なぜなら、突然の天災、事故、病気などによって、わたしたちの人生はいつ断たれるか、誰も知らないんですから。

そしてそれらがなかったとしても、永遠に生きる人がこれまで発見されていないように、誰にでもいつか必ず訪れるものが死だからです。

そして、それは「いつか」といっても、「明日」や「明日以降」ではなく「今日」なんですよね。

わたしたちが持っているのは実のところ、「明日」や「明後日」ではなくて、常に「今日」というか「いま」だけなので。

2016年10月のわたしにとって「未来」だった2017年1月30日を、いまわたしは生きていますし、同じ日は日付が変われば「過去」になります。

「未来」は必ず「いま」になり「過去」になる。だから、「死」も「いま」でしかないんです。死ぬときにはね。

「Live as if you’ll die today」というのはそういうこと。

そして、こんなことを書いているわたしも、100年後には間違いなくこの世にいない。

そういう風に考えていくと、いま過ごしているこの時間が、砂時計のなかを落ちていく砂のように、とどめがたく流れていって取り戻せない、とても貴重で大切なものに思えてきます。

この大切な時間で、何をなすべきか。

それはきっと一人ひとり違うんだと思います。

ただ間違いなく共通しているのは、誰であろうと自分の時間を自分らしくめいっぱい生き切る権利があって、それは誰にも侵されない(侵させてはいけない)権利だということです。

そして、自分らしく自分の時間を生き切る、これがけっこう、かなり、いやものすごく大変なことなんですよね。「自分らしく」って何だろう?改めて自分に問いかけてみると、これが意外と見えにくい。

だけど、意外と単純なことなんじゃないかと思います。やりたいこと。好きなこと。やっていて気持ちがワクワク、ドキドキすること。時間を忘れて没頭できること。

そういうことをしている時間が、たぶん、一番「自分らしい」。

いま、「時間を忘れる」と書きましたけど、本当に自分らしく過ごしているときは、時間を超越していると思います。一時間の出来事でも体感時間ははるかに長かったりするし、一瞬でも永遠に思える。

そう思えるような何かを持つこと、これが、「Dream as if you’ll live forever」のもう一つの意味なのかも、なんて思います。

そういうものがわたしたち一人一人に、たぶん与えられている。「夢」でもあるし、「天命」といってもいいのかもしれません。

時間を超越できる夢を持ち、限りある「いま」の一瞬一瞬を、大切に抱きしめて生きよう。

それができれば、明日いや今日、ニビルが落ちてきても、怖くありません。

いや、怖いことは怖いと思います。でも、怖くても、最後まで自分らしくいられるんじゃないかと思います。

もう一つ、前から好きな言葉があります。

明日世界が終わるとしても、私は今日リンゴの木を植える

マルティン・ルターの言葉として知られています。

明日世界が終わる、というのは、文字通り世界の滅亡かも知れないし、自分の死かもしれません。

いずれにせよ自分と自分の世界というものが明日消えてなくなるとしても、自分が為すべきと思うことを淡々と為すだけ、というこの言葉は、なんだかとても勇気を与えてくれます。

そして、りんごの木を植える、というのは未来に希望を託して行うわざでもあります。

今はまだ苗木であっても、やがては豊かに実を実らせ、たくさんの人に恵みを与えるだろうリンゴは、未来の希望の象徴です。それを植えるのは、自分のためだけではなく、自分がいなくなったのちも誰かのためになることを願って行う行為。

わたしたち一人一人が持つ本当の「夢」、わたしたち一人一人に与えられた「天命」は、そういう風に、自分のいない未来にも向けて、自分以外の誰かのためにもなるのを願って行うこと、なのではないかと思います。

世界ごと終わったら、りんごの木もなくなるじゃん(´・ω・`)という考え方もありますが、その「未来に向けた願い」が大事なんじゃないかなと個人的には受け止めています。

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