先進国における少子化の問題について思うこと。

日本の少子化が進んでいます。

日本の少子化が深刻さを増してきた。厚生労働省の推計では2016年の年間出生数が98万1千人にとどまり、ついに100万人の大台を割り込む見通しとなった。
(中略)
だが、真に懸念すべきは100万人割れではなく、その後も出生数減少の流れが止まらないことである。国立社会保障・人口問題研究所によれば40年後には50万人にも届かず、100年も待たずして25万人を割り込むという。

子供が減ることで、将来の母親となりうる女性が減り、さらに輪をかけて少子化が進むという、当たり前と言えば当たり前の悪循環が予想されています。

少子化の問題については、これまでも考えてみたことがありますが、少し違う角度から見てみたいと思います。

今の日本で「生きる」恐怖~少子高齢化社会に思う~
少子高齢化の日本。老人は老後破綻、下流老人と言う言葉におびえ、若者は増加する社会保障費の負担に苦しむ。長生きが社会全体にリスクとなってしまうのはなぜか。解決策はあるのか。一人一人が自分に与えられた能力を最大限に発揮して、後悔のないように生き切ること。
縮小するニッポンと、サイレント・テロ
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少子化は先進国に共通する問題

実は少子化は日本だけでなく、先進国に共通してみられる現象だと言います。
その原因については、下記のようなことが挙げられています。

高所得で経済成長が恒常的にある社会では、子供の育成に膨大なコストがかかり、それと親の消費水準とのバランスという合理的選択で子供の数が決まるとされる。高所得で経済成長する社会では、労働者の資本装備率が高くならなければならない。

高所得で経済成長が恒常的にある社会では、子供の育成に膨大なコストがかかり、それと親の消費水準とのバランスという合理的選択で子供の数が決まるとされる。(中略)

要するに、子供は数ではなくて質が問題となる。高度な教育を必要としない単純労働と、それを必要とする頭脳労働では付加価値がどんどん開き、賃金水準に大きな格差ができるため、親にとって子供の教育が最重要課題になるからだ。

統計では、世界各国の一人当たり所得が高いと出生率が低いという逆相関関係は明確であり、一人当たりの経済成長率が高いと、人口増加率が低くなるという緩い逆相関関係も認められる。

つまり教育にお金をかけるのとかけないのとでは、将来の所得に大きな格差が発生するため、みんな子供の教育にお金を注ぎ、それが負担となって少子化を呼ぶ、ということですかね。

そういえば、某巨大掲示板でも、
「お金持ちだけが子供をたくさん作ればいい」
「誰が、わざわざ奴隷にするために子供を産みたいと思うもんか」
という言葉が多く見られました。

資本主義が成熟すると格差は開き、資本家の子供は高度な教育を受けて資本家への道を歩み、労働者の子供は十分な教育を受けられず労働者への道を歩む、という、格差の固定現象があると言われていますね。

さらに格差の上位、富裕層でも子供の教育の負担は重く、3人も4人も…という風にはなかなかならない。そして格差の下位では、そもそも育児・教育の金銭的余裕がないのはもちろん、どうせ苦労するだろう子供の将来を悲観して、敢えて作らないという選択も生まれやすいと思います。

少子化原因仮説として、4つのポイントを挙げているサイトもありました。

ゆっくりとではあるが少しずつ確実に国を衰退へと進めている「少子化」。少子化対策に成功した外国は存在していますが、日本はコレといった打開策ができていないのが実情です。少子化の根本的な原因ははっきりとしていませんが、仮説はいくつかあります。少子

いわく、
・不景気によって結婚や子育てが無理
・女性の社会進出で晩婚化&非婚化
・情報化社会により結婚のデメリットがあらわになった
・娯楽の多様化で恋愛や結婚の価値が相対的に落ちた
ということ。

3番目と4番目は、バブル時代を経験した私にもよくわかります。恋愛や結婚より面白いこと、素敵なこと(そのように見えること)が、世の中には溢れていて、それどころじゃなかった、という…。

ただ、2番目はどうなんだろう。これもよく聞くことなんですが、でも先進国になる前も、女性は働いていましたよね。むしろ専業主婦という存在が、長い歴史の中で見れば非常にレアな存在と言えるのではないでしょうか。

働きながらの出産・子育てが難しいのは何故か

昔は一家で働くのは当たり前で、子供もお母さんも働いていました。
その中で出産、育児が可能だったのは、
・おばあちゃんや、その家や近所の子供が子守りをしていた
・母親が子供をおんぶしたり見守りながら働いていた
ということができる環境があったからではないかと思います。

今はと言えば…
・核家族化で、おばあちゃんと一緒には暮らしていない。というか、おばあちゃんは趣味や旅行に忙しかったり、老人ホームに入ってしまったりしている
・日本ではベビーシッター文化は根付いていない、というか、子供は塾や習い事で忙しい
・会社では、子供をおんぶしたり見守りながらの仕事は無理
ですもんね。

このへんの問題は、核家族を、出産・育児の必要な期間だけでも大家族に戻すとか、ベビーシッター文化を促進するとか、会社に託児所を併設するとか、そんな対策で効果が期待できるかも知れません。

でも、なんだろう。
そういう問題の根底に、さらに根深い問題が横たわっているような気がしてきました。

これまで挙げてきたような問題は、目に見える現象(女性の社会進出とか、教育にかかる費用の高額化とか)、まあ外部環境といいますか、そういうものを原因としていますよね。

でもね。

私思うんですが、どんな外部環境だろうと、恋愛したいと思えばするし、子供が欲しいと思えば作るし、育てたいと思えば育てるんじゃないでしょうか。

根底には、人が「そうしたくない」と思う何かがあるんじゃないでしょうか。

無意識下にある方向性

これは意識的にというより、もう無意識下の問題の気がするんですが、例えば、人の寿命は昔に比べて延びましたよね。

医学の進歩だったり、お医者にかかる金銭的な余裕だったり、環境が衛生的で安全になったりだとかで、人がなかなか死ななくなった、減らなくなった。

この中で、これまで通りの数の人が生まれてきたら、今度は、「人が多すぎる」ことによる問題が出てくる。

食糧難、住むところがない、土地争い(国境の問題、戦争)…。

だから、前ほどには増えないように、無意識下で、出産・育児への抑制がかかる。
増えすぎたレミングスが、集団で崖から飛び降りるように。
「個体数調節理論」と言うらしいですが。

レミングスの「集団自殺」は、今では否定されているとのことです。増えすぎると分かれて集団で移動し、新天地を目指すのだけれど、その集団移動の際に命を落とす個体もいるということなのだとか。

でも新天地が見つからないような狭い場所では、どうなるんでしょうね。

あとこれは私見なんですが、今の時代に子供を産み育てたいと思いますかね。

上に出てきた、「わざわざ奴隷になるために生まれてくる子供がかわいそう」じゃないですが、「この時代に生まれてくる」ことの重荷が、頭の中、というか心の底、というか、無意識下にあるから、子供を産む方向に進みにくいのではないでしょうか。

「この時代」っていうのは、
寿命が延びたことによる人口増加の問題、
日本の、社会保障費を少ない人数で支えなければいけない問題、
広がり、かつ固定化されつつある格差の中で生きなければいけない問題、
そういったことに加えて、

資本主義というか経済至上主義のもたらす問題が、やっぱりあると思うんですよね。

人間性の否定というか。
特に、効率の追求。
個性を無駄とし、平均化をよしとするところ。
すぐに結果を求める性急なところ。

長期的な観点、人間を人間として見ることの必要性

企業活動とかそうなんですが、3年、5年、10年先のことは考えても、30年、50年、100年先のことはなかなか考えられない。

特にIT業界については、新しい技術が次々生まれるので、長い展望が持てないというのが正しいのかもしれないですが。

長い展望を持つとしても、まあ、企業なんだから当たり前ですが、いかにして利益を出すかという、利益追求の観点からでしか、ないわけです。

そして、この利益重視の考え方に、社会、政府なんかも、染まってしまっている。

企業が利益を重視するのは当たり前なんですが、政府が音頭取りをして、社会全体がそういう方向に向かっているのは、まずいんじゃないかと私は思います。

長い時間軸の中で、人間は、社会は、どうなっていくべきなのか、どうなっていきたいのか、そういう展望を持てなくなっている。

とにかく目先の利益を追求し、早急な成果を追及する。

そういう観点から見たときに、子供はどう見えるか。

効率重視、経済中心な観点から見たら、現時点では何の利益も生まない、急いで「労働力」に育成すべき存在、ですよね。(親の消費意欲を増進させる存在としては価値を見出していそうですが)

投資の対象としては、これまた、どのように育つかわからない、危険な存在です。

お金をかけて教育しても、ニートになるかもしれない、犯罪者になるかもしれない、ハイコストでハイリスクで、リターンの全く見えない投資先です。

こんな風に子供を見るのは、まったく正しくない。

ものすごく、非人間的。

でも、社会全体がそういう風に、人間を扱っているのではないでしょうか?

そういう風に扱われ続けてきたからこそ、子供に対してもそのような目で見てしまうようになっているのではないでしょうか?

人間って、本来はもっと、豊かな可能性、あらゆる新しいものを生み出しうる力をもった存在だと思うんですけどね。

そういう個々の可能性を「育てる」「待つ」力を、経済重視、効率重視の社会は失わせるものがあるんじゃないかと思います。

無力な赤ん坊を手間がかかる重荷とみるのか、ものすごい可能性を秘めた宝物とみるのか。

これは未来に対する見方でもあると思います。

いま先進国になっている国々は、経済中心、利益追求で突き進んだ結果として、先進国になっている。
だから子供の個性を尊重し、子供の将来に望みを託すということが、なかなかできない。

ひとをひととして扱わず、経済活動の一つのパーツとして扱ってきた、効率主義の悪い点だと思います。

ニート、引きこもりは、そんな経済活動の歯車の一つにはなりたくない、という自然な本能のなせる業ではないでしょうか。

少子化は、そんな経済活動の奴隷になる運命の子供を創り出したくない、という自然な本能のなせる業ではないでしょうか。

効率重視をやめ、人を経済の奴隷として扱うことをやめないと、これらの問題の根本的なところは変わっていかないのではないでしょうか。

必要なことは

必要なのは、すぐに結果の出ることではないけれど、例えばこんなことではないでしょうか。

利益追求をちょっと横に置いて、50年先、100年先の未来をどうしたいかを考えて、そのために今必要なことを考える。

効率重視をちょっと横に置いて、時間の余裕を取り戻す。赤ちゃんをおんぶしながら仕事をするお母さんが職場にいてもいいんじゃないですかね。

そして教育を、型にはまった労働者を生産するためのものではなく、個々の人間の個性と可能性を開発するものにすることができれば…。

もし方向転換ができず、いまのまま、資本主義の効率重視と経済重視が社会全体を突き動かし、少子高齢化と格差の拡大が進んでいくなら。

人口減少の流れは止められず、労働力の確保のために移民を入れようとしても、労働環境の悪い日本にはそれ相応の環境でもよいという追い詰められた人しか来ない。
追い詰められた人間は犯罪に走りやすく、また移民は日本人ほど我慢強くもない。
ストライキ、デモなどが頻発、治安は悪化し、文化、宗教の違いによる問題も頻発。
その余力のある企業や人は、環境の悪くなった日本を捨てて、海外脱出。
日本はその余力のない、希望のない人々たちの国となり、そして…。

今のうちに、日本脱出の手段を考えておいたほうが良さそうです。

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