クリスマスイブに思う

今日はクリスマスイブでしたね。

あちこちに出ているクリスマスケーキ販売の出店と、それに群がる人々を横目に見ながら帰路につきつつ、「そういえば、クリスマスも年末年始もボッチだなあ」と、ふと思いました。

ここ数年そんな感じなので、寂しいとかの感情はないのですが、傍から見たら寂しく見えるのかなと思ったり、でもまあ別にいいかと思ったり。

小さいころから、クリスマス前後の時期は結構好きでした。

街は綺麗に飾り付けられているし、行き交う人々も(大体)みんな笑顔だし、テレビでは外国の教会前から中継をしていて、中から賛美歌を歌う声が聞こえてきたりして。

ああ、クリスマスっていうのはみんなが心穏やかに誰かの幸せを祈って過ごす日なんだなあと、子供心に感動したりしたものです。

そのイメージは今も変わらなくて、にぎやかなクリスマスソングに包まれて、(大体)みんなが誰かへの贈り物やらケーキやらを買うのに夢中な中を歩いていると、なんとなく自分も幸せのおすそ分けをもらった気がして、笑顔になってたりするんですよね。

ところで、そんなわたしと同じくクリぼっちの友人が、「今日は餃子が売っていない!」と怒っていました(わたしじゃないですよ)。スーパーのいつもの売り場に、ないというのです。

「クリスマスには餃子を食うなと言うのか。ふざけるな。わたしは今日、食べたいんだ」

とえらくお怒りです。

まあこの日ばかりはスーパーも、チキンとかケーキとか、クリスマスメニューをメインに置きますよね。

それに「餃子」というのは、「今日明日は人に会いません」というときに食すもの。最近はクリぼっちをターゲットにした商品が増えているらしいですが、さすがにその中に「餃子」が入っているとは考えにくいです。

まあ友人はその後、売り場の片隅で見つけて、無事ゲットしたそうですが、あやうくクリスマスイブというみんな(大体)を幸せにするためのイベントが、不幸な人を生んでしまうところでした(わたしじゃないですよ)。

「クリスマスは(大体)誰もが幸せな気分で過ごすもの」ーーーという、お花畑なわたしの考えを打ち砕くような事件が、最近、ありました。

ドイツのクリスマスマーケットにトラックが突っ込んで多数の死傷者を出し、ISISが犯行声明を出した、あの事件です。

クリスマスマーケットと言えば、日本からも観光ツアーが多数出ているほど人気のイベントで、わたしも数回、行ったことがあります。

教会と市庁舎の前の広場を華やかな電飾で飾られた小さな出店が埋め尽くし、そこへ大勢の人々が、クリスマスの飾り付けやお菓子を買いに、あるいは料理やお酒を楽しむためにやってくるのです。

大人はクリスマスビールを飲んでほろ酔い加減でにこにこしているし、子供は夜遅くまで外で遊ぶことを許されてはしゃぎまわっているしで、そりゃもうにぎやかなものでした。

雰囲気は、わたしは日本の夏祭りの夜店に似ていると思いました。あんなふうにキラキラ、ぴかぴかしていて、特別な空間。

その、誰もが幸せな気持ちになる、あるいはそういう気持ちを共有するために集まるクリスマスマーケットへ、人を殺傷する目的でトラックを突っ込ませるなんて。

ニュースを聞いて、衝撃を受けました。

人々が完全に無防備に幸せを享受している中へ、完全な敵意をもって、その幸せを破壊するために突っ込んでいく。(もともと、テロというのはそういうものですけれども)

こんなことができるのは、誰かに、自分の幸せをめちゃくちゃにされたことがあるか、今現在、そのようにされている(そのように感じている)人だけではないでしょうか。

そのような状態におかれた人々が、この世界には存在するんだということを、改めて突きつけられた思いでした。

クリスマスは、キリストの生誕を祝う日。

私自身はキリスト教徒ではありませんが、もし、人を救うことのできる神様がこの世にいるのなら。

これ以上の悲しみと不幸を増やさないために、自分の幸せをめちゃくちゃにされている(そのように感じている)人を、救ってほしい。

と、今日の夕食の豚汁と餃子を食べながら、思うのでした。(←あっ)

でもたしか、キリスト教は、「信じる者は救われる」で、信じないものは救われないんでしたね。

というか世の中の神様は大体、そうなんですよね。

信じないものは救われないどころじゃない、異教徒は滅ぼせ、という。

そして結局、そういう「不寛容」が、今回のような悲劇を引き起こしてしまう。

でも、異教徒を滅ぼさなければ保てない宗教ってどうなん?って、個人的には思います。

信じないものを消し去らなければならないのは、そうしないとこちらが消されてしまうかもしれない、という危機感があるからじゃないのかな?

あるいは共通の外敵を作らなければ、内側の団結を保てないとかじゃないのかな?

「怒り」はどこから発生するのか、昔しらべたことがあって、結局それは自己保存本能から来ている、という結論に至ったことがあります。

攻撃的な宗教って結局、そうしないと自分を保てない、という不安を持っているのかもしれないですね。

まあこんな風に考えるのは、わたしが平和な時代の日本に育った頭お花畑な人間だからであって、信仰にせよ何にせよ大切なものを守るためには、どんな手段を使ってでも戦わなければならないときもある、というほうが、本当のところなのかもしれません。

でもやっぱり、他人の幸せを破壊できる状況というのは、その破壊者本人も不幸な状況であると思うので、それが改善されるのが一番なんではないかな、と思うのです。

そういう意味で、誰もがそれぞれに幸せになれればいいのになと思う、イブの夜なのでした。

「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」
「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまがっしゃるんだわ。」
「そんな神さまうその神さまだい。」
「あなたの神さまうその神さまよ。」
「そうじゃないよ。」
「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑いながら云いました。
「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです。」
「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。」
「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります。」青年はつつましく両手を組みました。

銀河鉄道の夜

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