既得権益を絶対と思い込むと危険(生活保護とパチンコ問題+α)

リタイアを夢見る人間として、同じ無職のカテゴリに入るニートや生活保護には興味があります。

最近、「生活保護費をパチンコに使って良いかどうか」について、話題になっていたようです。
私はパチンコは大多数の人にとってお金を捨てに行くところだと思っているので、もちろん、そんなところに血税がつぎこまれるのはバカらしいと考えています。

擁護する人の言い分を見てみました。
生活保護費の用途は自由である。制限はない。
そう決まっているのだそうです。

パチンコをすることが、最低限の文化的な生活を送るために必須でありえるのかどうかは、ややこしくなりそうだからやめておきます。

ただ、「権利」というところがひっかかりました。

決まっているからそれでいいのか?
長いこと続いてきた制度だから正しいのか?
何とか王朝時代は王様が絶対正しかったけれど、それは本当に正しかったのか?

生活保護費の用途に制限がないのは本当に正しいのか?
時代が変われば制度も変わっていいのではないか?
バブルでどこからかいくらでもお金がわいてきた時代、ただの会社員でもタクシー券が使い放題だった時代と、いまとでは、福祉制度のあり方だって変わってきて不思議はありません。

絶対的に与えられた権利なんてありません。
最低限度の文化的な生活を送る権利とやらも永遠に守られる約束ではありません。
支える側があってはじめて成り立つ制度。
支える側が崩壊したら、成り立たない制度。
「弱者だから守れ」という権利の主張が、いつまで続けられるのでしょうか。

既得権益を支えに生きていける時間は、多分限られています。
年金問題や介護問題、格差の問題にしても、いろいろと限界が来ていると思います。
支える側の限界が。

支えられる側は、支える側の生きる権利について、真剣に考えたことがあるのでしょうか。
いや、支えられていることにさえ気づいていないかもしれません。
既得権益を永遠の絶対的な権利だと思い込んで。

生きる権利を主張しあえば、行き着くのは適者生存、弱肉強食の世界なんでしょう。
(バギーと肩パッドと釘バットが必要な)
けれどその前に、もう少し、できることがあるんじゃないでしょうか。

「常識」や、「当たり前」をとっぱらえば、何か見えてくるものがあるかもしれません。

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