「『会社に縛られずに働く』ことは可能か」を読んで

こんな記事を見つけました。

「会社に縛られずに働く」ことは可能か – Yahoo!ニュース

この中でも、サイボウズという会社の話が非常に興味深かったです。

働き方の選択肢がたくさんある、ということ

他の企業と比べて特徴的なのは、働き方の選択はいつ変えてもいいということ。仕事重視のスタイルから、途中で残業なしのスタイルに変えてもいい。実際に子どもの怪我で、どうしても看病が必要になり“週に2日は出社、2日は在宅勤務、3日は休み”という働き方を選んだ40代の女性社員がいました。「休職せずに業務を続けることができたので、ありがたかった」と言っていましたね。きちんと制度になっていることで、周囲の理解も得られやすいんです。

こういう働き方ができる企業は良いですね。
会社に勤めながらセミリタイアっぽくなれる感じ。

マネジメントする側が大変だと書いてありましたが、まさにそこなんだと思います。
そこがネックで、取り入れる企業が少ないんでしょうね。

でも、これまでのやり方では、優秀な人材を取るのは難しくなっていくでしょう。
IoT社会のインフラが整ってくれば、会社という場所に人を縛るのは難しくなってくる。
逆に、世界中の人材を必要に応じて採用することももっと自由に可能になってくるでしょう。

そして優秀な人材を取る、という面だけでなく、多様な人材を企業の成長力に変換していくためには、そういう変革が必要な時期に来ているんじゃないかと思います。

「毎日同じ時間に出社し、同じ時間に帰る」といった旧来型の働き方を社員に強いるスタイルでは、企業そのものが市場で生き残っていけないのではないかと思います

私などはまさにこれが苦痛で、早期リタイアの道を選んだわけです。

日本企業の特徴かもしれない「みんな同じであることが良いこと」

制度としてフレックスタイム制もあったし、裁量労働制もありました。
でも、遅く来て早く帰るという働き方は、職場の士気を下げる、というようなことを、上司から言われました。

私はゆったり一日かけて仕事をするよりも、集中して短時間でやるべきことを終わらせて、自分の自由になる時間を増やしたかった。
でも、今の会社ではそれは理解されない働き方だった。

「暇に見える」というのですね。
暇ならもっと仕事をさせるべきだ、と。

私には理解しがたいのですが、そうやって、
「みんなと同じ時間に来て同じ時間だけ仕事をすることが、業務効率向上よりも重要である」
という態度を、多くの日本の企業は、ずっととってきたのではないかと思います。

これは、国際的には賛同を得にくいんじゃないかな。
同調圧力の強い日本ならではの文化という感じ。
日本企業が世界で優秀な人材を集めることに苦労しているのも、当然かもしれません。

そして、企業の側が変革を迫られているのと同様、働く側も、変わることが要求されてくる。
ITが人間の代わりを務めるようになってくるからです。

IoT社会の到来で、産業も仕事も変わっていく

上記の記事の中で、写真屋さんが街から消えた、という話がありましたが、そういえばそうだな、とハッとしました。
少し前、レコード屋さんがなくなったなあ、というのは感じていたのですが。
(アマゾンやツタヤの出現、そしてネットでのダウンロード販売などが増えたからなんでしょうね。)

そんな風にして、少しずつ、けれど着実に社会が変わっていく中で、人間だけが旧来の働き方、働くことへの意識のままでいられるとは思いません。

人工知能が実用に耐えうるようになってくるにつれて、どんどん、人間がやっていた仕事はITに取って代わられていくでしょう。

その時、自分はどうやって働いていくのか。

私たちにとってバラ色の未来は、労働はすべてコンピューターにまかせ、人間はベーシックインカムで悠々自適の生活ができる、という世界。

農業も、漁業も、畜産業も、発電所、建設業、製造業も、運輸も教育も医療も、どんどんコンピューターがやるようになっていって、人間はすべての労働から解放されるという、夢のような世界。

でも、例えばそのとき、ベーシックインカムの財源は何になるんでしょうか?
お金はこれまで、労働の対価として支払われ、循環してきました。
労働をしなくなったら、その循環は、どうなるのでしょうか。

むしろ、お金は必要なくなって、食事も住居も医療も、無料になる?
そうなったら、本当に理想郷なんですけれども。

ただ、エネルギーをどこからどうやって調達し続けるのか、という問題は残りそうな気がします。
永久機関が発明されないと、なかなか…

新しい時代はもうすぐそこまで来ている

その夢のような未来とは別に、コンピューターに仕事を奪われた人間が貧困に陥る、というまったく逆の暗い未来も想像できます。

例えばですが、エネルギーやコンピューターの価格が高い段階では、それらを使うことができるのは一部の富裕層に限られるかもしれません。
その時、社会として職を失った人たちをセーフティネットで助けるのかどうか。
その時の財源はどうなるのか。

富裕層がコンピューターにかしずかれて暮らす夢のような世界と、それらを使う財力のない人たちがセーフティネットで守られて暮らす(そこではまだ人間の労働が必要かも)世界が、隣り合って存在するかもしれないですね。

現実的な話をすれば、たぶん、人間の労働がITに取って代わられるのはまだ少し先の話、10年20年先の話だとは思います。
でも、おそらくそうなっていくだろうという方向性は確かでしょう。

会社に所属して、会社の言う通りに仕事をしているだけではついていけなくなる時代が、来ようとしている気がします。

街からレコード屋さんや写真屋さんが消えていったように、いまある職業も永遠ではない。
また一方で、アマゾンやSpotifyが生まれたように、新しい産業、新しい仕事も生まれていく。

そういう中で、自分はどこにいて何をしようと思うのか。

社会が変革しようとしているいま、働くにせよ、早期・セミリタイアをするにせよ、主体性を持って動くことが大切になってくるのではないでしょうか。

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