「肩車されない」存在になること。めざせ生涯現役?

さて昨日の記事では「高齢者は適当な時に死ぬ義務あり」を肯定して話を進めましたが、それ以外にも、活路はあるのではないかと思います。

それは「肩車されない」老人になるということ。
言い換えれば生涯現役、ということ。

生涯現役でいられる仕事とは

これは今、政府がやろうとしているような、サラリーマンの定年を伸ばすとかいう意味ではないです。
(あれを聞いて私は正直、うへぇまだ働かせるつもりかYO!」とうんざりしました。)

定年をただ延ばすのは、灰色のサラリーマン生活が延びるということで、しかもこのご時世、どこまで延びるかわからないわけですから、そんなのはまっぴらごめんです。

そうではなくて、スキルを身につければ生涯、続けていける仕事。
お医者さんとか、
学者さんとか、
農家さんとか、
弁護士さんとか、
伝統芸能とか、
その他もろもろ。

自分の能力を活かせると自分で思える、やっててやりがいを感じることのできる、生涯をかけてスキルアップしていける、そういう仕事を生涯やっていくということです。

96歳で現役女医のかたもいらっしゃるそうですね(いまは診察は月に2、3回らしいですが)。

そんな風に仕事をしていけたら、生涯現役も、全然悪くないんじゃないの、と思うのです。

そうはいっても、誰もがそんな職につけるわけはなくて、サラリーマン的な仕事する人も必要なんじゃないの?って反論もありそうです。

でもね、たぶんそういう仕事は今後、機械がやるようになっていくんじゃないでしょうか。

10~20年後、仕事の世界は変わっていく

なにしろ世の中の職業の47%は、10~20年の間に機械に取って代わられるらしいですから。

無くなる仕事は、こんな感じらしいです。

電車の運転士・車掌、レジ係、通訳、速記・ワープロ入力、プログラマー、新聞配達員、レンタルビデオ、ガソリンスタンド、高速道路の料金徴収業務、仲卸業者、小規模農家、兼業農家、大手電力会社、自然エネルギー関連、参議院議員、専業主婦、日本人の取締役、中間管理職、受付・案内業務、一般事務・秘書、オペレーター・コールセンター、訪問型営業、金型職人、倉庫作業員、工場労働者、コピー・FAX・プリンター関連、証券・不動産ブローカー、ヘッジファンドマネージャー、証券アナリスト・ファイナンシャルプランナー、生保レディ、教員、交番の警察官

今後10~20年の間に消える仕事・残る仕事 | エコノーツ

逆に、なくならない仕事は、こんな感じ。耳慣れないものもありますね。

レクリエーションセラピスト

最前線のメカニック、修理工

緊急事態の管理監督者

メンタルヘルスと薬物利用者サポート

聴覚医療従事者

作業療法士

義肢装具士

ヘルスケアソーシャルワーカー

口腔外科

消防監督者

栄養士

施設管理者

振り付け師

セールスエンジニア(技術営業)

内科医と外科医

指導(教育)コーディネーター

心理学者

警察と探偵

歯科医師

小学校教員

今後10~20年の間に消える仕事・残る仕事 | エコノーツ

パッと見たところ…よく違いというか傾向がわからないんですが、あえて言うならば、

無くなる仕事=パターン化された仕事、仕事の調整役、紙関連の仕事?
無くならない仕事=人間の心と身体の治療と調整役、監督職、クリエイティブな仕事?

なんで教員が消える仕事で、小学校の教員が消えない仕事なのかは謎ですが…しつけというか情緒的な育成部分も含めた小学校の教育は、まだ機械には無理ってことなのかな?

いずれにせよ、これまでなかった仕事も新しく生まれてくるでしょうし、あと10~20年で、世の中の仕事の様相はかなり変わってきそうですね。

そういったなかで、サラリーマンという生き方、一つの会社に勤め続けて定年を迎え、そのあとは年金で暮らす、という生き方は、見直しを迫られてくるのではないかと思います。

定年後の楽園のために、苦しい今に耐えるという働き方の終わり

私は勤め始めたころ、いやむしろ勤める前から、「早く定年を迎えたい」と思っていました。
それなりに良い会社で、それなりに自分に向いている職種の仕事にはつけたけれど、やっぱり、それは妥協の結果であって、本当にやりたいことではなかった。

世の中のほんの一握りの人以外は、誰でもそうだった、と言われるかもしれません。
でも、こうやって妥協して働く形はやっぱり無理があって、どこかで反動が来るものなんじゃないでしょうか。

特に終身雇用制度が根底にある日本社会では、レールから外れることはほぼ許されない。一度入った会社を辞めれば、次を見つけるのはなかなか難しい。だから、どんなに嫌な仕事で苦しくても、会社を飛び出してはいけない。

そういう窮屈な働き方が、定年後への希望を過度に大きくさせてきたのではないでしょうか。

定年まで耐えれば、仕事から解放される。
これまで我慢して社会を支えてきたんだから、定年後は社会に支えてもらって好きなことをして暮らすんだ…

特に日本において、
A:仕事をしている期間=嫌でも苦しくても耐えるしかない期間
B:定年後=退職金と年金で好きなように暮らせる期間
という図式があり、Aが過酷であればあるほど、Bへの執着が強くなるという関係性があるのではないかと思います。

でも、Bに対するささやかな望みは、今や風前の灯火です。
定年は延長され、年金の支給は後らされ額は減らされ、社会保険料は増加の一途を辿り…老後破綻、下流老人、といったキーワードが社会をにぎわせる。
「そのために、苦難に耐えて頑張ってきた」定年後の楽園は、もう、ないも同じです。

こうなった今、何のために会社にしがみつくのか。
職を外国人と争い、機械と争い、争うほどに低賃金になっていく中で、そうまでしてその仕事に執着するのは、なぜか。

その仕事がとても好きで、天職と感じているのであれば、そんな状況でも頑張れると思います。
でも、妥協して仕事を選んだ、私のような人間は、別の生き方を探すほうがましだ、と考えてしまいます。

自分の能力を最大限に発揮できる形で働くことに、新たな望みをかける

これからもどんどん若者が減り、老人が増えていく。
年金も保険も、若者の負担を際限なく増やしていくことはできません。
それは若者をすり減らし、未来の国力を低下させることにつながります。

だから、老人も何らかの形で、支えられるだけでなく社会を支える側に回る必要がある

でも定年後の楽園に望みをかけて頑張ってきた会社人、特に妥協して職に就いていた人は、その楽園がもうないのだという状況で、今まで同じ形で頑張ることはもうできない。

また一方で、AIの発展により、人間の仕事がAI=機械に取って代わられようとしている。「人間でなければできない仕事」以外は、いつか、機械がやるようになる

今自分がやっているのは、「人間でなければできない仕事か?」そして、「自分でなければできない仕事か?」ということを、よく考える必要に迫られてくる。
考えておかなければ、ある日突然、「君の仕事は機械がやるから。君の机はもうないよ」ということにもなりかねない。

それらのことから、ある種の必然的な結果として、
「妥協した職ではなく、自分の能力を最大限に発揮する形で働ける職を求める」
ことを選ぶ
人が、増えてくるのではないでしょうか。

どうせ一生、働かなくてはならないのかもしれないなら、
当然、自分らしく好きなように、楽しく働くほうが良いですよね。

自分はどんな仕事を、どんな働き方でやりたいのか?
時間をかけて、一人一人が考えてみる必要がある、そしてその価値がある事柄だと思います。

セミリタイア、早期リタイアというのは、そのための手段とも言えるのではないでしょうか。

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